1. なぜ「スクールの会社」と呼ばれることに違和感があったか

株式会社HerTech 代表取締役の藤永拓也です。

以前、創業noteを書きました。三重県の限界集落で育った僕が、なぜ女性向けキャリアスクールをやっているのか。あの記事を読んでくれた方から、たくさんの反応をいただきました。

でも、あの記事を出してから、ずっと引っかかっていることがありました。

「女性向けキャリアスクールの社長さんですよね」

「オンラインスクールの会社ですよね」

メディア取材でも、採用面談でも、投資家との会話でも、僕たちはそう認識されます。間違いではないんです。でも、その紹介のされ方をされるたびに、どこかで「違う」と感じている自分がいました。

うまく言語化できなかった。「スクールの会社」と括られることの何に違和感があるのか、自分でもわかっていなかった。でも最近、ようやく整理がつきました。

僕たちがやっていることは「オンラインスクール」の枠には収まらない。もっと手前の、もっと根深い問題に向き合っている。「スキルを教える」ことが本質ではなく、その人の中にある**「見えない可能性」を解放する**ことが、僕たちの本当の仕事だったんです。

今日は、そのことを書きます。


2. 限界集落での原体験——「可能性があったのに、知ることすらできなかった」

創業noteにも書いたことですが、大事な話なのでもう一度触れさせてください。

僕は三重県の限界集落の出身です。全校生徒が20人の小さな小学校で育ちました。 小学6年のとき、担任の先生が母親にこう言いました。

「拓也くんは、私立受験を受けれるレベルですよ。どうされますか?」

母親は「うちは公立一本で考えていますので」と断った。経済的な事情もあったでしょう。 僕はそのことを、全てが終わった後に知りました。

親が悪いとか、先生が悪いとか、そういう話ではないんです。ただ一つ残ったのは、**「自分にはそういう可能性があったのに、それを知ることすらできなかった」**という事実だけでした。 今の自分があるのは運が良かっただけかもしれない——その気付きから、世の中の「自己責任論」に対して、僕はずっと疑問を持ち続けています。

外部環境によって、自分の可能性が消えていく。

小6のあの日、僕の中に刺さったのは、まさにこの感覚でした。 そして創業noteでは、この原体験から横浜サイエンスフロンティア高校を目指したこと、東大に進んだこと、アウローラとの出会い、そしてHerTechの創業まで書きました。でも、書ききれなかったことがあります。

それは、この原体験が「過去の出来事」ではなく、今この瞬間も、日本中で同じことが起き続けている構造的な問題だということです。そして僕は、6年以上事業に向き合い続けてきた中で、ようやくそのことを確信を持って言えるようになりました。