株式会社HerTech 代表取締役の藤永拓也です。
「女性向けキャリアスクールをやっている会社の社長」—そう言われることが多いのですが、実は、僕自身に「女性領域への特別な原体験」があるわけではありません。
起業家の創業ストーリーには、たいてい原体験がセットになっています。僕にもそれはあります。ただ、それは「女性支援」とは直接つながらないものでした。 でも、この事業に5年以上向き合ってきた中で、ようやく自分の中で整理がついたんです。あの日の経験と、今やっていることが、実はまったく同じ構造だったのだと。 「なぜこの会社をやっているのか」。その答えを、初めて言葉にしてみます。

僕は三重県の限界集落の出身です。 全校生徒は20人、学校は複式学級。ひとつ上の先輩が同じクラスにいるような、小さな環境で育ちました。いとこがラ・サールに通っていて、めちゃくちゃ勉強しているのを見ていました。
同じクラスの先輩も、小6で学校の授業中に受験勉強して先生に怒られるほどやっていたのに、それでも私立に落ちた。 「私立受験は自分とは無縁の世界なんだ」。
そう思って、そのまま地元の公立中学に進むつもりでいました。 ところが、小学6年の3月。すべてが終わった後に、たまたまあることを知りました。
「拓也くんは、私立受験を受けれるレベルですよ。どうされますか?」
その年の二者面談で、先生が母親にそう言ったらしいのです。でも、母親は「うちは公立一本で考えていますので」と断った。
僕はそのことを、全てが終わった後に知りました。
親が悪いとか、先生が悪いとか、そういう話ではないんです。経済的な事情もあったでしょう。
ただ、 「自分にはそういう可能性があったのに、それを知ることすらできなかった」 という事実だけが残りました。 今の自分があるのは運が良かっただけかもしれない—その気付きから、世の中の「自己責任論」に対して、僕はずっと疑問を持ち続けています。
外部環境によって、自分の可能性が消えていく。
小6のあの日、僕の中に刺さったのは、まさにこの感覚でした。
その経験があったからこそ、高校受験のときは「今度は自分で選ぼう」と決めました。 ちょうど僕が高校1年になるタイミングで、横浜に2期目の新設校、横浜サイエンスフロンティア高等学校ができました。実態としてどんな学校かはわからなかったけれど、テレビで見て「いいな」と思った。横浜には叔母がいるからそこから通える。公立なのでお金も大丈夫。